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「私の出産」~母から子へ伝えたい言葉~

第1回ぐるっとママ懸賞作文

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hisachiさん「あなたに会えるまでの1252日」

hisachiさん「あなたに会えるまでの1252...

『私をお母さんにしてくれてありがとう』   「手が足りない!スタッフもっと呼んで!」 34時間46分の分娩時間を経て、やっと赤ちゃんが産まれたことを安堵している私に聞こえてきたのは、「おめでとう」の言葉ではなかった。 結婚してすぐ子どもが欲しかった。しかし、なかなか授かれず病院へ行くと"原因不明の不妊症"と診断された。 当たり前に授かれると思っていたのに…。次こそはと人工授精を繰り返したが授かれず、結婚して2年目には体外受精へとステップアップした。 毎朝の自己注射だけでなく、治療の休みを貰うたびに職場で頭を下げること、周りの妊娠報告など、苦しいこと聞きたくないことばかりの日々だった。 「自分の何がいけなくて妊娠できないんだろう」こんなことばかりを考えていた。 採卵後、2回目の移植で初めての陽性!足元がふわふわして、妊娠した嬉しさが身体中を駆け巡った。 しかしその1週間後、化学流産の診断。 私の初めての妊娠は、わずか1週間で終わってしまった。 「私のところに赤ちゃんは来てくれないの」もう何をしていいのかわからず、泣いて過ごす日が続いた。 そんな悲しみのどん底にいた私を突き動かしたのは、私自身の「赤ちゃんに会いたい!」という気持ちだけだった。 そこから病院を転院し、再度採卵と移植をし、1回目の移植で陽性。その2週間後には赤ちゃんの心拍を確認することができた。 「私のお腹に赤ちゃんがいる!赤ちゃんが来てくれた!」泣きながら赤ちゃんの心拍を聞いたことは、今でも忘れられない。 そこから40週3日が経った10月3日の深夜1時。腰に激痛が走り、陣痛が始まった。 陣痛が5分間隔になった早朝6時半に病院へ行くと、子宮口は3センチに。 とうとう出産だ!と覚悟を決めたのに、我が子はなかなか生まれてきてくれず。5分間隔の陣痛に耐え続け、長い長い夜を越した。 一睡もできず、迎えた4日の朝の診察。私の疲労が激しいということから、陣痛促進剤を使っての出産に進むことが決まった。 やっと、やっと赤ちゃんに会えるんだ!痛みと疲労でヘロヘロの中、助産師さんに励まされながら、分娩に向けて準備した。 午後2時。とうとう本格的に分娩開始。ところが赤ちゃんは横を向いて出てこられない状態。 最後は吸引分娩となり、タイミングを合わせ、思いっきりいきんだ!「ドルンッ‼︎」という感覚と共に「オギャー!!!」という大きな産声!「産まれた!やった!やっと産まれた!」この時は安堵感しかなく、周りのお医者さんの異変に気がつくまでに時間がかかった。 「手が足りない!もっとスタッフ呼んで!」「ルートもう一本とって!輸血準備!」 寝ている私の上でこんな言葉が飛び交っていた。 何が起こっているの?なんでまだ赤ちゃんを連れてきてくれないの?そばにいる助産師さんに尋ねると、どうやら私の胎盤が剥がれず、そこから出血があるということだった。 段々寒くなり、身体は自分では止められないほど震えていた。 あとから聞くと、すでにこの時、出血量は3000mlを超えていたらしい。 「私は赤ちゃんに会えないまま死ぬのかな…」そんな思いがよぎった。その時、私の枕元に赤ちゃんがやってきた。 真っ赤な顔、とがった唇、小さい手。何もかもが愛おしく感じた。「この子のためにも死ねない!」 その後、縫合や輸血などの処置を終え、産後の後遺症にも悩まされながらも、可愛い我が子との毎日を過ごすことができている。 子育てをする中で、苦しいことも辛いこともたくさんある。 でも、この子に会うまでの苦しみや辛さに比べたら、何でも乗り越えられる気がする。私はこの子に会うためにずっと待っていたのだ。子どもを見るたびに思う。 「私をお母さんにしてくれてありがとう」   青森県 hisachiさん  題名:あなたに会えるまでの1252日 子どもへ伝えたい言葉:「私をお母さんにしてくれてありがとう」

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石橋優希さん「あなたは私の名コーチ」

石橋優希さん「あなたは私の名コーチ」

『あなたも一緒だから、嘔吐恐怖とも一緒に生きていけると思うことができました』   あなたが私のお腹の中に来てくれて数ヶ月経った頃でしょうか、私は毎日泣いて暮らしていました。 季節はもうすぐ春を迎える、3月の終わりでした。 体が苦しくて、朝から晩まで気持ち悪くて、起き上がるだけで一苦労。 ベッドから見える桜の木を見て、あの桜の花が咲く頃には、つわりも終わっていますよいうにと、毎日そればかり考えていました。   私は子どもを持つことを諦めていました。理由は、嘔吐恐怖があったからです。 小学生の頃、「吐く」ことへの恐怖で食事ができなくなり、学校へ行かず引きこもりになっていた時期がありました。 社会人になってからも、気持ちが悪くなると過度のパニックになってしまい、誰かと一緒に食事をするのが難しく、嘔吐の現場が怖くて電車に乗れなかったり生活でした。 妊娠したらつわりが来る。嘔吐恐怖の私がつわりに耐えられるわけがない。もし乗り越えられたとしても、子育ての中で嘔吐の現場は避けて通れない。もし子供が吐いてしまったら、私は子どもを捨てて逃げてしまうだろう。 だから、私は子どもを作らない人生を送るのだろうと思っていました。   そんな私のところに、きてくれたあなた。 はじめて、逃げることではなく、乗り越えていくことを考えました。   つわりが始まると、つらくて苦しくて、もちろん薬も飲めなくて、毎日泣きました。 亡くなったおばあちゃんの写真に手を合わせて、「はやくつわりが終わりますように」と祈っていました。 水も飲めなくなり入院し、どうしてこんな思いをしなければならないのかと恨めしくも思いました。 でも、「逃げられない」と自覚したときに、私は初めて「吐き気」と向き合うことができたのだと思います。 それまで私は、少しの違和感ですぐに吐き気止めを飲み、嘔吐の現場から逃げ、直視しないようにやり過ごしてきました。 でも、つわりを通して感じる、お腹の中のあなたの存在が、目を逸らすことを許してくれませんでした。だからこそ、「吐き気がこわい、私は辛い」と、毎日泣くことができました。   つわりの次に私を襲ったのは、猛烈な食欲です。 妊娠前の私は、気持ち悪くなることが怖くて、腹5分目以上食べることができませんでした。 しかしそんな恐怖を凌駕する「食べたい」という気持ちは人生で初めてでした。 たくさん食べました。そして思いました。私はもう、嘔吐恐怖と一緒に生きていけると。   あなたが生まれる数時間前、痛みと一緒にまた吐き気がやってきました。 でも、不思議と怖くなかったのです。何十年も怖くて逃げまわっていた吐き気が、いつの間にか戦友のようなものになっていました。   やっとあなたの顔を見れたとき、「もう大丈夫そうだね」っていう顔をしていましたね。 目を背けるなと伝えてくれてありがとう。あなたは私の名コーチです。   青森県 石橋優希さん 題名:あなたは私の名コーチ 子どもへ伝えたい言葉:「あなたも一緒だから、嘔吐恐怖とも一緒に生きていけると思うことができました」

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さおさん「頑張るよ、お母ちゃん」

さおさん「頑張るよ、お母ちゃん」

『愛してる』   私は24歳6ヶ月で出産を体験しました。 妊娠が発覚した時には、嬉しさと驚きでした。 月経がかなかったため、妊娠検査薬を使用しました。 妊娠検査薬使用時、私は実家に居たためすぐに自分の両親に報告ができました。 両親も驚きと共に嬉しさが混ざって、 父からは「おめでとう、まずは確実に妊娠してるか病院行って検査いつやるの?」 母からは「だから言ったじゃない。避妊はなんでしてなかったの。」と。 母は内心おめでとうと言いたかったのですが、付き合ってまだ1年半だったこともありまた、ほぼ毎週彼の家に泊まりに行っていたこと、姉もできちゃった結婚ということもあり、この妊娠発覚時にはものすごく反対をしておりました。 私も妊娠が嬉しかったのですが、反対され「やってしまった。どうしよう。」と考え込んで泣いてしまいました。 そんな姿を見た父は私と母に「もうできてしまったことは戻らないんだから、できたことに感謝して頑張って育てるんだ」って私と母をなだめたくれました。 私と母の間には微妙な空気が流れて数日が経ちました。妊娠検査薬後の病院に行った時のことでした。 産婦人科に行った時周りには私のような2.3ヶ月の妊婦さんや臨月近くに入ってるような妊婦さんが沢山いました。 自分が呼ばれる待ち時間にその人たちを見ているとキラキラしており嫌な顔せず期待に満ち溢れた表情でした。 私も自然と少し不安な気持ちもあったのですが、その人たちの表情や実際に 妊娠してますよともらったエコー写真を見て帰りはルンルンでした。 家に帰り、家族にエコー写真やどんな検査どんな説明をされたのか話していた時、 気まずい日々を過ごしてた母が、私に向かって一言。「おめでとう、楽しみだね♪」と笑顔で言ってくれました。 私はその表情を見た時から気持ちは晴れ晴れとし妊娠を前向きな気持ちになることができました。 出産までは2ヶ月に1回、1ヶ月に1回、2週間に1回の頻度で妊婦健診に行きました。 毎回ではないですが、エコー検査がある時など必ずエコー写真をもらうことができました。 本来であれば家族の同席ができる場面ではあったのですが、コロナの感染対策ということ家族が妊娠期に対する楽しみにしていたものが全ての行為に家族同席不可というものとなっていました。 このご時世のため仕方なかったためエコー写真などで家族、旦那さんには伝えていました。 そのおかげで旦那さんも出産を楽しみにしてくれました。 そんなこんなで、予定日まであと1週間となった夜に破水をし、それから3時間で元気な女の子が生まれました。 何も問題なく退院をし、今はまだ6ヶ月ではありますが、家族みんなで成長を楽しみにしております。 100日記念やハーフバースデーは必ずお祝いを行って育児を息抜きしながら楽しんで、みんなでこの子の笑顔のために頑張って生きていこうと毎日思って生きていこうと思います。   青森県 さおさん 題名:頑張るよ、お母ちゃん 子どもへ伝えたい言葉:「愛してる」

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まむにさん「大切なあなたたちへ」

まむにさん「大切なあなたたちへ」

『いつか反抗期になって「くそばばあ」と呼ぶ頃にも、これを読んで少しはお母さんのこと見直してくれたらいいな。』   はる。ひろと。 お父さんとお母さんのところに生まれてきてくれて、本当にありがとう。こんなにもかわいい子どもたちに恵まれてお父さんとお母さんはとっても幸せだよ。 これはいつもあなたたちの寝顔を見つめながら、お母さんが思っていること。起きているときは怒ってばかりなのに、やっと寝てくれた後のその無防備な寝顔を見ると、とたんに心から溢れてくる。 ずっと横にいて見つめていたい。その温かい小さな手を握っていたい。何回もほっぺにチュッてしたくなる。いつもいつもそう感じているよ。 あなたたちがお腹の中にいるときは、お母さんの体がまるで自分のものではなくなったみたいに毎日色々な変化があったよ。 始めはつわりもひどかったけど、それが嫌だと感じなかった。妊娠中でないときは、胃腸炎のたった数日の吐気はとても苦痛に感じていたのに、数ヶ月間毎日吐いたり気持ち悪くなるつわりは大変だったけど苦痛じゃなくて、不思議だなと思った。 自分の体は神様からの大切なものを預かっていると、そんな感じがしていた。妊娠はわからないことだらけで、この子を何とか守っていかなきゃと、いつもささいなことでもネットを検索したり、本を調べたり、一生懸命だった。 毎回の妊婦健診が楽しみで待ち遠しくて、あと何日と指折り数えたよ。妊婦健診のたびに、どのくらい大きくなったのか、エコーにはどんなポーズで写っているのか、ちゃんと無事に育っているか、性別はもうわかるのかな。毎回色々な気持ちを胸に産婦人科に向かって、帰り道はいつもうれしくておばあちゃんに報告の電話をかけていた。   健診のたびにお父さんが一緒に付き添ってくれて、毎回お腹の中のあなたたちが無事に育っていく喜びを2人でかみしめていたんだよ。 あなたたちは2人ともお腹を元気いっぱいに蹴っていて、きっとわんぱくな子なんだろうなと想像していた。 蹴る回数が少ない日は、ちゃんと元気でいるのかなととても心配になった。お父さんは毎晩お腹に話しかけてキスしていたんだよ。   生まれてくるときは2人とも帝王切開だったね。お母さんは手術台の上で、それまでの人生の中で一番緊張していたし、ガクガク震えていたよ。ちゃんとお腹の子が無事に生まれてきてくれるように心からお祈りした。 生まれて最初の泣き声を聞いたときは心の底から安心して涙がこぼれた。   初めてお顔を見た時は、やっと会えたことがうれしくてうれしくて。この子が今までお腹の中に入っていたの?と不思議な感覚だった。 生まれたばかりの小さな小さな命をそっと腕の中に優しく抱っこして、これから大事に大事に育てていこう、何があっても守ってあげなきゃと感じた。   あなたたちは2人とも、お母さんの帝王切開の傷跡を見て「ぼくここから生まれてきたの?」ってうれしそうに聞いてくれるよね。 お母さんはそれがうれしく思えるし、何より2人が無事に外に出てこれたことを、この傷跡に「ありがとう」って思う。 今はあなたたちはやんちゃ盛りで、お母さんは普段は怒ってばかりなんだけど、本当はこんなにも2人のことが大切なんだよってことがこの作文で伝わったらうれしいな。   大好きなはるとひろと。 これからもずっと元気で幸せに大きくなっていってくれることを心から願っているよ。   青森県 まむにさん 題名:大切なあなたたちへ 子どもへ伝えたい言葉:「いつか反抗期になって「くそばばあ」と呼ぶ頃にも、これを読んで少しはお母さんのこと見直してくれたらいいな。」

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工藤順子さん「ℳヒストリー ~息子誕生秘話そしてありがとう~」

工藤順子さん「ℳヒストリー ~息子誕生秘話そして...

『玲音へあなたはあなたのままで素晴らしい   私を母にしてくれて、産まれて来てくれてありがとう。』   私は、今から21年前の27歳の時に 体重3186g身長51cmの男の子を出産した。   その後 彼の名前を玲音(れお)に命名 ジャングル大帝レオ 百獣のライオンのように気高く強くたくましく育って欲しいとの願いで付けた名前。   出産前日の夜 私は、お腹の痛みに耐えながらシャワーを浴びていた。 これが陣痛の痛みとも分からずに。。 なぜなら、出産予定日より1週間も早いからだ。 シャワーを浴びてそのまま病院へ行き旦那さん立ち会いのもと7時間後に無事出産した。   初めて我が子をこの手に抱いた時は、 この世の中にこんなにも愛おしいと思う 存在がいるなんて 息子の産声を聞いて感動もつかの間 元気に無事に産まれて来てくれたことの感動と安心感でいっぱいでした。   いつもコンタクトレンズをつけている私だが、この日はもちろん裸眼 感動している私と夫へ 看護師さんが産まれた我が子を見せてくれた瞬間、私は、驚いたのと不安がよぎった、 この子は、神の子?猿の子? 背中全面に大きな黒いアザらしきものが!! でも、産声はとっても元気 手足全部ちゃんとついてる それが出産直後の感想でした。 その黒ぃ正体の答えは、 翌日の沐浴の日に判明。 その黒く見えたもの それは カラダ、皮膚を保護するかの様に生えてる真っ黒な体毛だった。   息子のカラダ皮膚を保護し守ってくれた 体毛にも感謝した。。   看護師さんは、 「たまに居ますょ。 大丈夫です。そのうち無くなるから」と言ってもらった一言で不安が安心に変わったことを今でも鮮明に覚えている。   息子の ひとつひとつの仕草、動作、笑顔 発する言葉 全てが愛おしくて可愛い 我が子が1番と思ってました。   母乳を飲んで 大きな病気もする事なくスクスク育ち 1歳半頃ごろやっと 我が子の性格に気づいた笑。 彼は、かなりの慎重派 数センチの段差にも腰がひけるぐらい。 でも、とってもひょうきんで明るぃくて優しい子に育ってくれました。 息子の成長と共に私も母親として成長して来たと思っています。 日々、 成長していく毎に 可愛いさが増していく反面 ひとりの人間として向き合う戸惑い 私の子育ては、間違っているのでわ? 子育て、育児に悩んで涙した時期もありました。   でも 息子の存在は、 私の人生の糧となり支えとなりました。 3歳を期に幼稚園へ入園後 私の育児と仕事の両立が始ました。   毎日が 1日一日があっという間に過ぎていく。 夜仕事から帰ったら 大好きだょのハグは欠かさずの日課だった。 息子の成長が楽しみで一緒に体感したくて 幼稚園時代からずっと 学校行事、部活動の試合の応援、高校の文化祭のお手伝いまで全てに参加。 私自身がして欲しかったことを 我が子にしてあげようと妊娠した時から 決めていた事だったんです。 その願いも叶えてもらえて本当に幸せです。 子供の親になって初めて 改めて親の大変さや愛に気づいた。 私も両親、家族に愛されて育てられた事に。   写真は、 息子らしさが出てる1枚!! (当時3歳)     青森県 工藤順子さん 題名:ℳ𝑦ヒストリー ~息子誕生秘話そしてありがとう~ 子どもへ伝えたい言葉:「玲音へあなたはあなたのままで素晴らしい   私を母にしてくれて、産まれて来てくれてありがとう。」

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石井優花さん「パパとママは、命がけで凛ちゃんを守ります。」

石井優花さん「パパとママは、命がけで凛ちゃんを守...

『凛ちゃん、命がけで産まれてきてくれてありがとう。どんなことがあっても、凛ちゃんは産まれてきただけで100点満点!』   凛ちゃんは、2698gで、誕生してくれました。 軽いし小さいし、3人目なので、抱っこは余裕だと思っていました。だけど、全く違いました。この2698gは命の重さです。 たくさんの奇跡と愛が詰まった重さと思うと、とてつもなく重くて抱っこがぎこちなくなってしまいました。 思っていたよりも、細くて小さな身体でどう扱えばいいか、本当に戸惑いました。でも、思っていたより、赤ちゃんは可愛くて可愛くてたくましかったです。 これは、凛ちゃんへママからの初めてのラブレターです。   まず、妊娠が分かったときのことをお話します。 パパもママも、3人子どもが欲しかったから、とても嬉しかったです。 妊娠が分かり、毎日ワクワクして、凛ちゃんのことを話ていました。 正反対の性格のパパとママなので、言い合いをすることもたくさんありましたが、パパはずっとママと凛ちゃんのそばで守りってくれました。 にいには、毎日お腹をさすってくれていました。胎動を感じたときのにぃには、今まで見たことがないぐらいキラキラした笑顔で「あー!」と、とっても喜んでいたよ。 毎晩、パパと一緒に名前も考えてくれていました。 ねえねは、1歳だから、まだわからないし超甘えん坊で、ママのお腹の上にも乗ってくる。だけど、頻繁に股覗きポーズをしだしました。子どもが股覗きをするのは兄弟を欲しがっている時だって聞いたことがあったので、ママは凛ちゃんを産むことに何の迷いもありませんでした。 誕生する前から、こんなに凛ちゃんは愛されていました。 そして、私たち家族は何度も喧嘩もしました。でも、家族みんなが凛ちゃんの成長をみたい!育てたい!という思いは確かで、その思いだけで、仲直りもでき家族の絆を強めて結んでくれました。     次に、凛ちゃんの誕生日2022年8月26日についてお話します。 前日の夜に陣痛があり、パパと病院へ向かうことになりました。車の中では、パパもびっくりするぐらいママは冷静でいました。 3回目の出産だし、何より10カ月間ママのお腹で頑張ってくれた凛ちゃんと最愛のパパがいたからです。 ただ、出産の痛さといきみ逃しのことを考えると震えてしまいます。そして、病院へ到着し、すぐに内診と点滴をし、パパとトイレに向かいました。トイレに入ると、急な痛みと赤ちゃんがでてくる感覚に陥り、すぐにトイレにあるインターフォンを押し、看護師さん4名が車いすを持ち駆けつけてくれました。 看護師さんの最初の一声が、「頭がでている。」 ここから、ほぼ記憶はありませんが、パパが近くでいたことと看護師さんが適切な対応をしてくれているのは覚えています。 そして、分娩台に着くと同時に凛ちゃんが誕生しました。 きっとママがいき見逃しや痛みが怖いことを悟って、一人で頑張って細い産道を命がけで産まれてきてくれたんだね。ありがとう。 出血も多く、あまりにも早すぎる展開に混乱していた中で、凛ちゃんの産声だけがママの心に鮮明に届き正気に戻れました。 凛ちゃん、分かるかな。ママは陣痛室で痛みに耐えることもいきみ逃しもしませんでした。 凛ちゃんが、ママの不安を察して、一人で命がけで誕生してくれました。 これからは、心配いりません。家族があなたを命がけで守ります。   産まれてきて、まだ2週間。ママは、凛ちゃんに一番伝えたいことがあります。 これからたくさん失敗することもあるし悔しいこともします。 だけど、凛ちゃんはこの世に、頑張って頑張って産まれてきてくれました。 それだけで、100点満点です。生きているだけで、100点満点!   世界中の子どもたちが、愛と希望で満ち溢れますように。     岡山県 石井優花さん 題名:パパとママは、命がけで凛ちゃんを守ります。 子どもへ伝えたい言葉:「凛ちゃん、命がけで産まれてきてくれてありがとう。どんなことがあっても、凛ちゃんは産まれてきただけで100点満点!」

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【ぐるっとママ八戸賞】ももさん「私の出産 母から子に伝えたい言葉」

【ぐるっとママ八戸賞】ももさん「私の出産 母から...

『私の可愛いたいちゃん   たいちゃんは妊娠5ヶ月の頃からの呼び名です。胎児のたいから取りました。可愛い笑顔で振り向いてくれます。 』   初めての出産は簡単ではなかった   一度目の妊娠は心音確認後に流産。またすぐ妊娠できると思っていた。疑いもしなかった、甘い考えだった。 私が卵管障害という病名を聞くまでは。 婦人科の先生から病名を聞いた途端、呆然とした。そのあと、どう家に帰ったかは覚えていない。あまりにもショックが大きく、夫にどう伝えれば良いか悩んで悩んでは、涙が止まらなかった。悔しくて自分を責めた。 帰宅した夫に 『治療しないと子供できないんだって』 と伝えた。夫は静かに聞いてくれた。   『焦らなくていい』   悩み考えた末、予約を再度取り直し、夫と婦人科を受診することにした。先生は私たち二人に 『何年まで治療を続けますか?お二人で決めてください』と頭から言われてしまった。 時期は考えていなかった。 『納得するまでやりたいです』 自分に負けたくない一心で答えた。不妊治療が始まった。肩に2週間ごとのホルモン注射・毎日の婦人体温測定。 頑張れば頑張るほど、焦りで心が病んで疲れた。 治療は何年か続き、諦めかけていた時、生理が遅れていることに気づいた。婦人科受診日に妊娠検査をした。 先生が『妊娠したね、良かったね、良かった』 嬉しくて涙が溢れ出た。夫にすぐ妊娠報告、喜んでくれた。   私の妊娠生活が始まった。つわりがひどく、体重が減り、毎回妊婦検診では点滴。 お腹にいる赤ちゃんの名前を胎児から取り、たいちゃんと呼び掛けながら妊娠生活を過ごした。 5か月になり、安定期に入り妊娠生活を楽しんでいた矢先、検診で子供の頭辺りに腫瘍が見つかった。 精密検査で良性腫瘍と判明したが、胎盤に癒着していた。自然分娩では危険だと判断された。 全身麻酔で腫瘍を切除することになった。手術が終わったらたいちゃんに会える、頑張ろう。 夫と手を繋ぎ手術室の前で別れた。   全身麻酔が切れ痛みで目が覚めた。夫がベットの横にいた。 『元気だよ、さっき泣いてた。当分二人とも入院だね』 私は安心して涙が出た。二日後、看護師さんから車椅子を押され保育室のたいちゃんを見に行った。 二重で可愛い。 『いつ子供を抱けますか?』 『検査結果次第かな?』 ガラス越しの子供を見つめて、病室に戻った。   2~3ヶ月後、退院が決まった。実家に帰る途中車の中で、母が 『おめでとう、やっとママになった』 『ママに私がなった』 隣で寝ている子供を見て、いつか話そうと思う。あなたに出会えるまで、たくさんの人から教えてもらいました。先生、看護師さん、助産師さん。自分一人で人は決して生きていけない。たくさんの人の支えや、協力があるからこそ、成長して生きていけること。 たいちゃん、パパとママのところに生まれてきてくれてありがとう。 たいちゃんの頭の後ろの傷は、ママとの勲章だね。   青森県 ももさん 題名:私の出産 母から子に伝えたい言葉 子どもへ伝えたい言葉:「私の可愛いたいちゃん   たいちゃんは妊娠5ヶ月の頃からの呼び名です。胎児のたいから取りました。可愛い笑顔で振り向いてくれます。 」

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ツインママさん「命のバトン」

ツインママさん「命のバトン」

『いつも近くで家族が見守っている。恐れずに挑戦し続けよう!』   「おめでとうございます。双子の赤ちゃんですよ。」 初めての妊娠が分かったのは21歳の冬。まさか自分が双子を授かるなんて、青天の霹靂だった。 私と主人は、友人を通じて出会い、交際半年で出来ちゃった婚。 出産に対し迷いが無かった訳ではないが、双子がお腹に来てくれた事は奇跡だと思った。 「絶対に産まないと後悔する、私はこの子達と生きていくんだ。」若さと勢いで周りの反対を押し切った。 妊娠が分かった時点で既に3ヶ月目。腹を括ったはいいが、そこからは怒涛の日々だった。 どんどんお腹が大きくなる中、働きながら1時間以上かけての通院。 多胎児は、普通のお産よりハイリスクとなる為、大きな手術のできる総合病院に紹介状をもらった。 妊娠7ヶ月目に退職したのも束の間、切迫早産で入院となった。人生で初めての入院。 周りは同じ双子のお母さん達が多く心強かったけれど、ベッドの上から身動きの取れない生活とホームシックで、出産までの2ヶ月がとても長く感じた。そんな中心の支えになったのが、主人をはじめ、遠方までお見舞いに来てくれた友人達。 地元から何人も駆けつけてくれて、この時程人の有難みを感じた事はなかった。 入院中に読んだ本に、「お母さんが笑うとお腹の赤ちゃんも一緒に笑う」と書いてあった。 家族と友人のおかげで、私もお腹の赤ちゃんも笑顔を沢山もらった。 お産の時がやってきたのは、35週と3日目の朝。 強い腰痛があり、午前中の内診で子宮口が開いているのが分かるとすぐに手術となった。 出産予定日より2週間早く、2007年5月23日の正午、1912gと1864gの一卵性の女の子が誕生。 先生には、それほど小さく生まれた訳ではないと言われたが、私には想像以上に小さく戸惑った。 我が子に初めて対面したのは、生まれてから4日目。保育器の中で黄疸が出ていたが、命の別状はないと聞かされ安心した。 すぐに抱く事が出来なかったけど、同じ顔をした赤ちゃんを見て、生まれてきた事がまだ信じられない気持ちと、やっと会えた喜びでいっぱいだった。 すぐに実家の家族に無事生まれたことを報告すると、電話の向こうで兄姉が祝福してくれた。 「良かったね、おめでとう。」母の安堵した声を聞いてから、思わぬ話を聞かされた。 私が入院中、父が癌で余命宣告を受け、大きな手術をしていた。 お産のストレスにならないように、出産まで隠していたと。 突然の事に目の前が真っ暗になり、病院の電話BOXで泣き崩れた。 反対されたが、産む決断をした私を受け入れてくれた父。障害を抱えながらも、子供4人を育ててくれた。 全盲だったが、そんな事は微塵も感じさせない程タフな人だった。あんなに強い父がまさか。 既に手の施しようがなく、自宅で闘病生活をしていた。そんな父に、一度だけ新生児の双子を抱かせてあげる事ができた。 しかし、その半年後には帰らぬ人となった。 あれから15年が経った今、泣きながらこの作文を書いている私と、思春期真っ盛りな双子の顔が、父には見えているだろうか。 子供が生まれた直後、私は兄姉に父の看病を任せきりにしてしまい、最後の最後までろくに親孝行が出来なかった。 本当に悔やんでも悔やみ切れないが、娘達に父の強さを教えない日はない。 障害を抱えても、社会との繋がりを持ち、常に挑戦し続けていたこと。 五体満足である私達にも、何だってやれる。この先何があっても、何世代も続く命のバトンをもらったんだ。 みんなが見守ってくれている。だから、恐れずにチャレンジし続けよう。 人生が楽しいんだって、生きる喜びを背中で見せていくのは、親である私と主人の役目だ。 天国の父もきっと応援してくれているだろう。 過去を振り返りながら、そう自分を奮い立たせる。 目の前に居る娘達を見ながら、この作文を書く事で、改めて当たり前じゃない幸せに感謝することができた。     岐阜県 ツインママさん 題名:命のバトン 子どもへ伝えたい言葉:「いつも近くで家族が見守っている。恐れずに挑戦し続けよう!」

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ももさん「大切で愛おしいあなたへ」

ももさん「大切で愛おしいあなたへ」

『隣で寝息をたてて、気持ち良さそうな寝顔を見ると、胸がぎゅうっと締め付けられて幸せな気持ちになるよ。今日もありがとう。大好きだよ。』   目が覚めた。お腹が異様に空く。全身が重く、痛い。お腹を触り、我にかえった。 「そうだ私、あなたを産んだんだ。」    数時間前の出来事を振り返る。 産まれて間もなく呼吸が上手くできず、低酸素状態になったあなたはすぐに保育器に入った。 妊娠・出産が初めてだった私は、ぼんやりとした感覚のまま、陣痛とお産によりボロボロになった身体で、ただ1人、入院部屋へ戻ったのだ。産後すぐ、我が子と離れてしまった。 あなたは今、何をしているのだろう。元気だろうか。泣いていないかな。早く会いたい。苦しい。 お腹は空いているはずなのに、なぜか食事が喉を通らない。 頭の中であなたのことを考えているうちに、あっという間に面会時間になった。 小さな保育器の中で、一所懸命呼吸をしている姿が見えた。 「かわいい。小さい。どうしてあげたらいいのだろう。」 固まって一点を見つめる私に 「たくさん触ってあげてね。」 と看護師さんが声をかけてくれた。 手を伸ばした。初めて触れた。温かい。背中は柔らかい毛で覆われている。ふにゃふにゃしている。 これ以上触れたら、壊れそう。でも触れていたい。ほっぺを触ると口をぱくぱくさせた。愛おしい。早く自分の腕の中で抱っこしたい。   初めての我が子。妊娠が分かった時から大好きが止まらなかったが、目の前にするとより一層愛おしく感じる。 この感情を、パパと分かち合いたい。でもコロナ禍なので、できない。そしてあっという間に面会時間は過ぎていく。 「ママに会えて良かったね。」 “ママ”という言葉に、嬉しさが込み上げる一方で、親としての責任を感じた。 また1人、部屋に戻った。一緒に居れない寂しさと申し訳なさが込み上げてくる。孤独で胸が苦しくなる。 優しく背中を撫でることしかできなかった。何かできることはないのだろうか。自分の無力さを感じた。 真夜中、他の赤ちゃんの泣き声で目が覚めた。みんな授乳室で自分の子どもに授乳している中、私は搾乳機で母乳を搾り取っていた。 もちろん目の前にあなたはいない。周りのママたちと差が出ているような焦りと不安を感じた。母乳もなかなか出てこなくて、涙だけが出てきそうになる。自分はダメ親なのかもしれない。心が折れそうになった。 そんな時、陣痛の時にずっと背中をさすってくれた看護師さんが 「大丈夫?」 と言って、隣に座って話を聞いてくれた。 「辛いよね。不安だよね。」 気持ちを受け止めてくれる人がいるだけで、心が軽くなり、自分と向き合うきっかけになった。 出産は、本当に命がけだ。今更ながら自分を産み、育ててくれた両親に感謝だと痛感した。 出産は、奇跡なんて綺麗事で言い表せないくらい想像を遥かに超える時間だったけど、そんな痛みや不安や孤独なんてどうでもいいって思うくらい小さくて愛おしくて自分より大切な存在がまたひとつ増えた。   保育器生活を終え、無事に退院できた。 パパは、初めてあなたを抱いた時、幸せに溢れた満面の笑みで、強く強く抱きしめた。 じじも、ばばも、みんなみんな、あなたのことが大好き。産まれてきてくれてありがとうと心から思い、強く優しく成長してほしいと切に願い、これから先、幸せであってほしいといつも祈っている。 無事に生後10ヶ月を迎えた今、順調に成長し、ハイハイで家中を探検している。 保育器に入っていたとは思えないくらい離乳食を沢山食べ、雄叫びをあげ、ママの肩をカミカミかじる。 子どもの生命力は、強い。ママ、ママと手をあげ、抱っこを求める姿は、この上なく愛おしい。 だんだん重くなってきた身体を持ち上げ、ぎゅっと抱きしめる瞬間が幸せだ。 初めてママになって、あなたから教えてもらうことがたくさんある。 嬉しいことも悲しいことも、これからも一緒に受け止め、時には見守りながら、認めていきたい。 そして毎晩、すやすや眠るあなたに頬を寄せながら声をかける。 「今日もありがとう。大好きだよ。」     青森県 ももさん 題名:大切で愛おしいあなたへ 子どもへ伝えたい言葉:「隣で寝息をたてて、気持ち良さそうな寝顔を見ると、胸がぎゅうっと締め付けられて幸せな気持ちになるよ。今日もありがとう。大好きだよ。」

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KAYmamaさん「辛かった妊娠~出産後の幸せ」

KAYmamaさん「辛かった妊娠~出産後の幸せ」

『生まれてきてくれて、ママにしてくれてありがとう。三人はずっとママの宝者。 悪いことせず人に優しく健康に元気に育ってね。』 2010年9月。妊娠検査薬に反応し産婦人科へ。 初めてのエコー。本当に赤ちゃんいるのかな?そう思いながらモニターを見ると小さいながらも懸命に動いてる心臓が見えました。 初めて見る赤ちゃん、とても可愛くて見た瞬間にメロメロ。 ママになるんだというドキドキ、嬉しさと同時に絶対産むと守らなきゃなどいろいろな感情がわいてきました。 予定日は2011年4月25日。 妊娠中は悪阻がすごくキツく。 でも、健診で元気に成長してる姿を見ると、とても幸せで早く会いたいなぁと毎回思っていました。 妊娠中すぐお腹が張り全然動けなくなりとても大変でした。 私ばかり体重が増えて、赤ちゃんがなかなか体重が増えず、「お母さんばかり栄養とっていないで赤ちゃんに栄養をあげなさい」と注意され、赤ちゃんに栄養をあげようと食べれば私ばかり増え、動こうにもお腹が張り痛くなり、張り止めも効かないしどうしたらいいんだろうと毎日悩んでいました。 そんな日々を過ごしていた2011年3月11日。 テレビから地震警報が聞こえてきました。 赤ちゃんだけは守らなきゃと張り止めと携帯だけパッと持ち玄関へ。車もなく移動出来ずに不安でした。 すぐパパが帰ってきて、夜もずっと停電していて寒くいつもよりお腹も張るしこのまま赤ちゃんに何かあったらとすごく不安でした。 たまに余震が来たり、停電もあり毎日ビクビクしながら過ごし 2011年4月11日。夜に寝ているとチョロチョロと破水。パパの車で病院。 緊張とこわさと会いたい気持ちですごくドキドキしていました。まだ産まれないと言われパパは帰りました。 段々お腹が痛くなる中、余震。地震来たり停電したらどうしよう、無事産めるのかなという不安でいっぱいでした。 赤ちゃんだけは助けてと思いながら、どんどん痛くなる痛みに耐え寝れないまま朝に。 陣痛の合間に痛くない時間があると聞いていたけれどそんなのなく、とにかくずっと痛くてもう耐えられないという程の痛みがずっとあり吐きそうになりながらなんとか痛みに耐え、とうとう分娩室に移動になりました。歩いて分娩室へ行くのが痛くてすごく大変でした。母が退室させられいよいよ出産。 助産師さん達の指示を聞きながら数回いきんでいたら切開するよと言われ、切開されました。 切開された後に指示通りに数回いきんだら足が当たったような、出てきたような感じがしたなと思ったら産まれたよ、男の子だよ。と言われ、やっと会えたとすごく嬉しかったです。 2011年4月12日10時33分2362gの赤ちゃんが誕生しました。 低体重児だったけれど保育器にも入らず元気に産まれてきてくれました。初めて見た赤ちゃん可愛くて可愛くて。 母とちょうど仕事終わりの父が来てくれて産まれるのを待っていてくれました。 たくさんの人が見に来てくれてたくさんの人に祝福され幸せな子だなぁと、ずっと幸せな人生を歩んでほしいなと思いました。   2014年2人目妊娠 予定日3月22日 2015年3月23日7時45分  2786gで誕生   2020年3人目妊娠 予定日4月28日 2021年4月20日4時48分 2962gで誕生   三人共、悪阻がキツくお腹が張りやすく張り止めを飲んでたくさん病院に通いました。みんな元気に産まれてきてくれてよかった。 文字数足りなく一人目しか書けなかった為いつか全員分書けたらな。   今、三人の寝顔を見ながらこうして書いてると母親になって11年。 一瞬で過ぎていきすごくあっという間だったなぁと感じます。成長は嬉しいですがさみしくもなります。 三人の母親になれて本当によかった。元気に成長してくれてありがとう。 いつか産まれて来てよかったと思ってもらえたらいいな。 「生きているだけで丸儲け」辛いときは我慢せずゆっくり休んでもいいので無理せず自分の命だけは大切にしてね。 たくさん自分の好きな事して、楽しい人生を送ってください。いつでも貴方達の味方です。ずっと大好き。   青森県 KAYmamaさん 題名:辛かった妊娠~出産後の幸せ 子どもへ伝えたい言葉:「生まれてきてくれて、ママにしてくれてありがとう。三人はずっとママの宝者。 悪いことせず人に優しく健康に元気に育ってね。」

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のりこさん「こどもたちへ」

のりこさん「こどもたちへ」

『とにかく生きろ』     息子、娘へ   17年前と15年前、あたしの子供に生まれてきてくれてありがとう。  2人とも1ヶ月も早く産まれたね。 息子の時は初めての妊娠、出産。何もかもが初めてで…正直、あたしは母親になりたいとは思わなかった。 私の、中で、結婚したのだから、母にならねばの思いが強かったように感じます。 そして、ちょうど年頃というのもあり『結婚』『妊娠』がピークの時。同級生が、妊娠した。私も妊娠しなければ。 そんな思いからあたしは子作りに挑んだ。 いざ、妊娠。嬉しさもあったけどいろんな事に戸惑った。 お金も貯めてないのに。あたしの仕事の内容で子育てが出来るのか。生活はどうする。いろんな事を思った。 でも勿論『中絶』は考えなかったよ。あなたたちに会いたかったのも事実だったからね。 息子の時は、お腹が張っていても仕事を休めない。あたしが休んだら迷惑がかかる。そう思い必死に働いた。 そしたら初期から出血。そしてもうすぐ産休か?ってなる前に強制的に入院。絶対安静。ずっと点滴。歩くのは許されなかった。 でも安静のおかげで、36週には入ったのかな?いつ産まれても良いでしょうって退院。で、すぐ歩いたりしたら、まさかの退院してからすぐにお印からの出産。すごい小さいなーって思ってた。 でも良く良く考えたら1ヶ月も早いのに2692グラムもあった。でかいじゃん(笑) その通り今のあなたはとても大きくなりました。 発達障がいもグレーゾーンの息子。生きづらいときもあるでしょう。 でもあたしはどんなことがあってもあなたの味方です。だから死なないでください。 あたしも散々死にたくて、何度、リストカットをしてきたか。おかげで傷だらけです。でも生きてて良かった。 やっぱり生きてて良かったんです。だから、今がツラくても、やっぱり生きてください。 軽い言葉で、『必ず良いことあるから』なんて言いません。でもやっぱり生きてください。   娘へ。 娘は見事、低体重で、産まれてきました。 あなたもお印からでした。ちなみにあたしもお印からの出産だったみたいだよ。 6際の時に、眼瞼下垂の手術と、斜視の手術。13歳で側彎症の、大手術。15歳でまた斜視の手術。 よく頑張ってくれました。また誓い未来には眼瞼下垂の手術がありますね 不登校の娘。小学4年の頃に学校に行きたくないあなたを引きずって、学校に行かせようとしたこと、ホントにごめんなさい。 いまでもあの事は忘れません。ホントに傷だらけにしたもんね。ある意味虐待か。 それから、中学生になったら、本格的に不登校になりましたね。 『行けない』あなたを理解できてるつもりでもやっぱり、理解してなかったから、行けないあなたに、何度暴言を吐いたことか。 ごめんなさい。 一番つらかった時にあたしは味方のふりだったね。でも不登校でも良いかなって今なら思えます。 だって生きてるんだもん。笑ってるんだもん。 これで毎日、あたしが追い詰めていたら、もしかしたら、ホントにあなたは命を絶っていたかもしれない。 そしたらあたしは一生、後悔しただろう。笑って生活なんてしていないだろう。 もしかしたら、あたしも命を絶っていただろう。でも、今、あなたが生きてる。 だから、あたしも生きて、一緒に怒ったり泣いたり出来てる。生きてくれていてありがとう。 これから先、いろいろあると思う。 でも不登校の経験を将来の何かの役に立つことがあるでしょう。人の役にも立てるときが来るでしょう。 だから、精一杯生きてください。     青森県 のりこさん 題名:こどもたちへ 子どもへ伝えたい言葉:「とにかく生きろ」

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あやさん「強く、楽しく、生きていこう」

あやさん「強く、楽しく、生きていこう」

『負けずに、強く生きて。ママはいつでもあなたが大好きです。』   みーちゃん、あなたはこれから、たくさんの辛い経験をするかもしれません。 どうして私がっと思う事もあると思います。それでもママはあなたに出会えた事を、本当に嬉しく幸せに思っています。  私はなかなか妊娠できず、不妊治療を行い人工授精を経て妊娠に至りました。 妊娠してからの経過は順調で、切迫早産になることが多い職場ではありましたが、出血もなく産休に入ることができました。 38週1日目の検診を終え、15時頃より生理痛のような痛みが出てきました。 前駆陣痛かもと思いながら、夜を迎えると21時頃より痛みが強くなってきました。 いよいよ歩くのも辛くなりそうな痛みになってくると、痛みの間隔も10分になってきました。 深夜3時クリニックに連絡をして向かい、4時頃助産師さんに診察をしてもらいそのまま入院することになりました。 朝になりご飯も食べれないような痛みが続きましたが、なんとか少しご飯を詰め込みました。 その後、分娩室へと案内され、食べたご飯を吐きながら、痛みと闘いました。   38週2日目、12時31分にみーちゃんの産声を聞くことができました。   胸に抱いたみーちゃんは温かくて、ふわふわしていて、元気な声で泣いていました。 私は、安心しました。 (あー、きちんと泣いている。無事に産まれてきてくれた。はじめまして、ママです。あぁ、私の可愛い子だ。ありがとう、ありがとう。)   もう私は嬉しさでいっぱいでした。 一度測定の為に助産師さんにみーちゃんを預けて、会陰切開した傷を縫合してもらい、少し落ち着いた時です。 先生はみーちゃんを抱いて、真剣な顔をしていました。 背中がひやりとしました。なにか良くないことを言われると直感しました。   先生はとても残念な、申し訳なさそうな声で言いました。 「お母さん、赤ちゃんのお耳をみて。先天性の奇形で産まれました。右の耳がきちんとした形じゃないんだ。 けど、他に異常はないよ。」 先生は私にみーちゃんを抱っこさせながら、右耳をみせてくれました。   右外耳道奇形。みーちゃんの耳は不完全な状態で、とても小さいそれは、耳の形ではありませんでした。 私は、先生に奇形のことを言われたとき、なぜそんな顔をするんだろうと思いました。   私は、奇形だと言われた時、全然ショックをうけませんでした。たったの少しも悲しくなかったのです。 (だって、この子は生きている!泣いて息をして、心臓だって動いている。たとえ耳が片方なくても、今この子が産まれたこの瞬間の嬉しさに勝るものはない!私は今幸せなのだから、そんな悲しそうな顔をしないで、もっとお祝いして!) 心の中で、そう思っていました。先生は私がショックを受けていないことに驚いたかもしれません。 それでも本当に悲しさとか負の感情なんて感じませんでした。産後ハイだったのかもしれないですが、嬉しさしか感じませんでした。   きっと今後みーちゃんには、たくさんの辛い経験や困難な出来事を起こると思います。 それでも、強く生きてほしいです。 笑い飛ばしてしまうくらい、それがどうしたの、と跳ね飛ばしてしまうくらいに。 辛い時は、泣いていいです。ママも一緒に泣きます。ふたりで抱き合ってたくさん泣きましょう。 なんでこんな身体で産んだのって怒ってもいい、ママの事を叩いてもいい。 でもたくさん怒ったら、その後は前を向いてね。奇形で産まれた事実は変えられないし、受け入れるしかない。 いつまでも怒って悲しんでいても、ちっとも楽しくない。だから、たくさん楽しいことをして、たくさんゲラゲラ笑いましょう。   みーちゃん、大丈夫。ひとりじゃないよ。ママと一緒に色んなことを乗り越えていこう!   ママはいつでもみーちゃんの事を愛しています。 ママのもとにきてくれてありがと。ママの子供になってくれてありがとう。     青森県 あやさん 題名:強く、楽しく、生きていこう 子どもへ伝えたい言葉:「負けずに、強く生きて。ママはいつでもあなたが大好きです。」

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げんままさん「だって私の子供だもん」

げんままさん「だって私の子供だもん」

『ありがとう~この瞬間もしあわせ~』       私から1歳の息子へ子に伝えたいこと それは「ありがとう」の言葉だ。   ありきたりかもしれないが ありきたりなんかじゃ全くない。   私のお腹に宿ってくれて「ありがとう」 無事に産まれてきてくれて「ありがとう」 母親にさせてくれて「ありがとう」   まだ1年とちょっとしか一緒にいないけど、 あなたが産まれてからずっとずっと誰よりもそばであなたの成長を見届けてきた。   この1年で色々とできることも増えたね。 寝返り、ずりばい、ハイハイ、あんよ ミルクからごはんへ。   人って、生きてるってすごいね。 こうやって成長していくんだね。 はじめの頃はなにもかにも分からず 泣きやまないあなたをみて、私も涙が とまらなく、ふたりしか部屋にいなかったからなんだか寂しい気持ちになったこともあった。   ある日は、初めての風邪をひいて高熱がてて咳も苦しそうで そんなあなたを見てかわいそうで泣きたくなるときもあった。   あるときは、初めてあなたを誰かに預け離れるとき、ずっとみつめ今でも 泣きそうになるあなたをみて涙を堪えるのが辛いときもあった。   生活の一部分きりぬくだけで色々な感情を味わっているんだなと 感じることができる。 こんな色々な感情も私の財産になってるんだね。   おサルさんから人間らしくなって 今では理解できる部分も増え、会話が成り立つときもあるね。   私の毎日の代わり映えのない 生活から、あなたが産まれてから 毎日が新鮮な輝かしい生活になりました。   いまこの瞬間、一瞬一瞬もすごく幸せな 経験を日々させてもらってる。 ほんとうにありがとう。 だいすき。   あなたがこれからこの地球で生きていくのに必要なことは もうすでに神様からそなえられてる。 だって私の子供だもん!   その輝かしい笑顔とありがとうの 感謝の気持ちがあればどんなことが あってもなんとかなるよ大丈夫。   あなたがいるだけで、周りは明るくそしてみんなも笑顔になる。 すごい、すごいエネルギーをあなたはもっている。 さっきまで険しい表情をしていた あの人だって、あなたをみて 「かわいい」って笑っているよ。 すごいね。   人を笑顔にする天才だ! 私も小さい頃、「○○の笑顔は世界を救う」て言われたことがあったけど あなたもどうやらそうみたいだね。 すごいね、私たち。 だって私の子供だもんね!   これからも健康で元気に おもいっきりこの地球で やりたいこと、楽しいこと 一緒にいろいろと経験していこうね。 私もこれから経験していくこと 見たことのない世界をあなたと見ていくことがすごく、すごく楽しみだよ!   私もあなたを全力で受け止めるから、 あなたも何事も全力でね! これから楽しいことがたくさん待ってるよ。   私のもとにきてくれて 本当に「ありがとう」   青森県 げんままさん 題名:だって私の子供だもん 子どもへ伝えたい言葉:「ありがとう~この瞬間もしあわせ~」

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のーちゃんさん「私の出産」

のーちゃんさん「私の出産」

『自分を大好き、大事にしてください。』   人生には節目や分岐点が、沢山あると思います。。私が30歳という節目を迎える年にふと頭の中をよぎりました。 『このまま本当に子供も産まない、結婚もしなくていいのかなぁ…。』と。   このタイミングで結婚を決め、すぐに妊娠しました。   でも、私の初めての妊婦生活は、妊娠24週目からNICUに入院し4ヶ月間ベット上、24時間点滴、面会もほぼダメ、赤ちゃんが大きくなると産まれてしまうリスクが高くなるという事で、完食もダメで食事制限があるという行動制限のある生活で終わりました。 点滴をずうーっと刺していたので、刺すところがなくなり今もその跡が残っています。   妊娠中、『普通』との違いをとても考えていたのを覚えています。 普通に産休まで働けると思っていたし、普通の妊娠さんのようにマタニティスイミング・ヨガに通ったり、普通に好きな物を食べたり、産まれてくる赤ちゃんの用意をしたり… そんな入院生活の中での、心の支えがお腹の中で日に日に育つ赤ちゃんの存在でした。 毎日心音を確認できると暗い入院生活も明日も頑張ろうと明るい気持ちにさせてくれました。   なので無事に臨月で出産できた時は『私のところに産まれてきてくれてありがとう』と言ったのを今でも覚えています。   あのまま早産だったらまだ保育器の中で一緒に退院もできなかったと思うと、自分もよく入院生活を辛抱できたと褒め称えました。 出産後、私の考えが1番変化した事が仕事よりも育児を優先したいと思った事でした。 仕事もすぐ復帰するつもりでしたが、今はこの子と一緒の時間を過ごす事の方が気持ちが勝っていた事です。自分でもこの心境の変化には、驚きましたがこれが子供の力なんだと学びました。母親にならなかったら一生理解できなかった感情なんだと思います。 今はもう10歳になり、割と大きめに育っています。 赤ちゃんの時の写真を時々見返すと入院してた時の事を断片的に思いだしたりもします。あんなに小さかったのにもうこんなに育ったんだなぁと。あっという間に親から離れる年になるんだなぁと。 だから、できる限り一緒に過ごす時間を作るように努力しています。できるだけ手作りのご飯を作るようにしています。 いずれ、自分で好きなように友達と遊んだり好きな物を食べたり、今みたいに過ごす時間は少なくなるだろうと思って… 今はカップ麺にとても憧れを持っています。いずれ好きなだけ食べれる日がくるよ、と思って聞き流しています。   叱りすぎる事もあり私も日々反省します。でもきっとこの意味も理解できる日がくると思って、一緒に成長していきたいです。     岩手県 のーちゃんさん 題名:私の出産 子どもへ伝えたい言葉:「自分を大好き、大事にしてください。」

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ひまのあやさん「あなたという希望と成長する未来」

ひまのあやさん「あなたという希望と成長する未来」

『希望の先に人間の成長がある。』     わたしは常に自信のない人間で、勉強もできないし、人に誇れる資格や技術ももっていません。だから学生時代からずっと自分のことを駄目な人間だと思ってきたし、なにをやっても駄目なんだと未来に希望がもてず毎日をただ消費していました。   でも希望をもてる転機が訪れました。それは、たくさんの試練を与えてくれたけれど。    妊娠した時、ひどいつわりで、ビニール袋を手に持ちながら電車通勤をしてたけど、たまごのようなあなたが少しづつ人間になっていくのが希望だったから耐えることができました。    切迫早産になり2ヶ月点滴に繋がれベットから1歩も動けない入院生活を送りました。お腹が張るたびに、不安で苦しくなりいっぱい泣いて、点滴の針を毎日差し替えるから手があざだらけになったけど、あなたを1日でも長くおかなの中で守ることを希望として耐えることができました。     出産のたびに帝王切開でお腹を開けることになって、縫った傷がいたくて動きたくなかったけど、ミルクをのむ可愛い顔をみるのを希望として歯を食いしばりながら立ち上がることでできました。    保育園からお熱がでたって電話がかかってきて会社からは嫌な気持ちになることい言われたけど、早くお迎えにいって抱きしめてあげることを希望として悲しい気持ちを耐えることが出来ました。    ズボラだったけど、あなたの咳が楽になることを希望としてお掃除頑張れています。  料理苦手だけど、少食なあなたにごはんをいっぱい食べてもらうことを希望として料理の勉強をしてごはん作っています。    このご飯嫌いとか、うるさいなーとか言われると腹がたって、大きい声で怒鳴ってしまうけど、あなたと仲良く遊びぶことを希望として、怒ってごめんねって目を見て謝れています。    こんなに自分が成長できたのは、あなたが生まれてからなんです。    こんなに強くなれたのは、あなたが生まれてからなんです。   これから大きくなるあなたの誇れる希望になりたくて、ここまで頑張ってきました。   まだまだ世の中には、「もっとこうした方がいい」とか「できる人はこれをやっている」とか「こんなに頑張っている人がいる」とか頭が痛くなるほど沢山の情報であふれかえっているし、もはやそこには希望は見えないけど、わたしはわたしだけの希望を胸に成長します。   あなたの希望にはどこまで答えられているか わからないけど、私はいっぱいの希望を叶えてもらっています。 ありがとう。   あなたもたくさんの希望をもって前に進んでね 希望があると人間が成長できる未来があるから。   青森県 ひまのあやさん 題名:あなたという希望と成長する未来 子どもへ伝えたい言葉:「希望の先に人間の成長がある。」

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柳谷央江さん「4人目の出産を終えて伝えたいこと」

柳谷央江さん「4人目の出産を終えて伝えたいこと」

『パパとママのところへ生まれてきてくれてありがとう。4人のお陰で、ママの経験ができてるよ。子供の頃からの夢がママになることだったママは、とても幸せだよ。』     ここで、我が子に向けてお手紙を書くようにしたいと思う。 それぞれに向けて書きたいこともあるけれど、共通して伝えたいことを書くね。 まずは六花、旺李、彩仁、華璃、パパとママのところに生まれてきてくれて、本当にありがとう。 ママは子どもの頃から、早くママになることが夢だったの。なんでか分からないんだけどもね。 あと10年、あと5年、あとちょっとかな、どんな人と結婚するかなぁってよく考えていた。ママになることを楽しみにして生きていた。 パパと出会った時、家族になる風景がみえたの。そして六花を授かった時、ママになるんだー!って嬉しくて嬉しくて泣いた。 初めてのつわりがしんどくて泣いた。エコーで元気に動き回る姿を見て泣いた。そう、ママは泣き虫。 妊娠から出産、子育てと初めてづくしを経験。   そんなママは今年、4回目の出産をした。出産直前、コロナに罹った。 夜中に病院にみんなで行ったね。抗原検査を車で受けるときに、鼻に入れる綿棒が痛いことを分かってる彩仁は、ママーママー!って泣いてたね。六花と旺李はママ大丈夫?って心配して声をかけてくれたね。 陽性と分かり、即入院だったから、その場で別れる時はママは大号泣した。寂しいのはあなたたちだから、ママは泣かないんだ!って決めてたのに、ママ元気になってね!元気な華璃を産んでね!と陽気に声をかけてくれて、とっても嬉しかった。 いつもうるさい声が飛び交う家が、どれだけ幸せなことか、、ママ!ママ!って呼ばれるのが鬱陶しくなる事もあるけれど、それがどんなに幸せなことか、、入院中はただただ日常の全てが宝物なんだと改めて気付かされた。 ママと離れてる間、パパと3人で大変だったのに、パパはレベルアップしたよ~と言うし、今日はこんなことしたよ~と楽しそうに電話をくれたね。パパに怒られたよって笑って教えてくれたり、彩仁はしくしくすることもあったね。ケロッと切り替えて遊ぶ姿に成長を感じたよ。 退院したら覚悟はしていたけれど、うるさい我が家。 耳は心地悪いけれども、嬉しかったな。今日もうるさい!元気な証拠!って思いながら、出産までの10日間は毎日感情をノートに書きながら、出産までもう少しだなと噛み締めるように過ごしたよ。   38週目の検診から帰ってきて、出血と腹痛で六花に病院行ってくるよと家を出た。 きっと入院、生まれてくるからと思って、六花の頭をぽんぽんしてから出た。立ち会いはできないから、ママは助産師さん達と頑張った。華璃の産声を聞いた瞬間、初めてなんとも言えない安堵感があった。 産まれたよのLINEに、すぐに電話をくれたね。となりにいる華璃を画面越しに見て、可愛い!可愛い!はるりちゃーん!小さい!ねぇねだよ、にぃにだよ、ってたくさん話しかけてたね。六花も旺李も彩仁も、みーんなありがとう。   出産翌日、右足が全く動かなくなった。 これまで自分の体は後回しだったことが、要因だった。 退院してからは骨盤矯正など、自分を大切にするようにした。六花を産んだ時、ママなんだから子どもを優先にするのが当然!と思ったり、子どもたちが喜ぶことをしてあげなきゃと空回りしてきた。職場で悔しい事も言われたり、冷ややかに見られる事もあった。書ききれないくらい、くっそー!って思う経験、なにやってんだよ自分と責める経験をしてきた。   そして今思うこと。それは、自分が自分を幸せにしてあげてほしい。 こんなにやってあげたのに、、って思わないこと。やってあげようと応えてあげた、以上。自分の幸せは自分次第。   これから世の中でたくさんの経験をしていくだろう。嬉しい事も、辛い事も。どんなことがあっても、自分の幸せ自分次第、自分で生きる力をもってほしい。ママは弱い人間。だけどもあなたたちのおかげで、少しずつ、周りの人を頼ることができた。強みにも気づいた。人間って面白い。生きることをめいっぱい楽しんでほしい。   最後に、怒りん坊のママでムカつく事もあるだろうけれど、ママだいすきって言ってくれてありがとう。 最高の笑顔をみせてくれてありがとう。 ママは何があってもあなたたちの味方だよ。 何にも変えられない存在。 六花、旺李、彩仁、華璃、大好き!ママにしてくれて、ありがとう!   青森県 柳谷央江さん 題名:4人目の出産を終えて伝えたいこと 子どもへ伝えたい言葉:「パパとママのところへ生まれてきてくれてありがとう。4人のお陰で、ママの経験ができてるよ。子供の頃からの夢がママになることだったママは、とても幸せだよ。」

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藪谷未帆さん「奇跡」

藪谷未帆さん「奇跡」

『あなたに出会えたこと』     あなたが生まれた5月17日は、私の母の誕生日。 まさか365日ある中で、この日を選んで生まれてきてくれたことに驚き、そして喜びました。 ひよりが生まれてすぐ、ばぁばに連絡したら、「おめでとう」の前に「五体満足か?」という心配そうな声が第一声だったんだ。 その声を聴いたときに、私が口唇裂で生まれたから、当時すごく心配してくれたんだろうと切なくなったよ。 普通の出産というものはどこにもなくて、様々な奇跡の連続で生まれてきたということを忘れないでね。    私は中学校の教師で、妊娠が分かってから本当にたくさんの人に助けてもらいました。 ひよりの存在を様々な人が喜んでくれて、荷物を運んでくれたり、保健室で休ませてくれたりしたんだ。生徒のみんなも私のお腹をなでたり、授業の道具を運んでくれたり、まだ生まれてもいないあなたに、一生懸命話しかけてくれました。    あなたのパパは、妊娠を1番に喜んでくれました。 そして、私が悪阻で具合が悪くなった時、いつもどんな時もサポートしてくれました。 帰宅すると私は疲れてよく横になっていたけれど、パパは私の後に帰ってきても、体調のことを気遣って声をかけ、晩御飯の準備、片づけ、お風呂掃除等、全部やってくれました。 私は自分が頑張ることが大事だと思っていたけれど、頑張らないことがあなたを守ることになるんだと気づいてから、人にお願いしたり、頑張りすぎないようにすることを大切にするようになりました。 ひよりの存在が、私の生き方をさらに良いほうへ動かしてくれたと感じています。 晩御飯中やお風呂、寝る時、よくおなかの中で元気いっぱい動き回るあなたと会えることを、2人でとても楽しみにしていたんだ。    ひよりが生まれた時、コロナという伝染病が世界中で大流行していて病院には限られた人しか入れなかったから、パパは朝6時に病院まで私を連れてきてそこからお別れ。 すごく心細かったけれど、助産師さんや先生のおかげで無事あなたを生むことができて、とてもほっとしたよ。 ひよりは、川を流れ出るイメージで、この世に生まれました。 感動して泣くかと思ったら、それよりも会えた嬉しさでニコニコが止まりませんでした。 あなたの顔を初めて見たとき、とても心が暖かく、ほわほわしました。 だから「暖かい光の下」すくすくと元気に育ってほしいと願いを込めて「ひより」と2人で名づけました。 あなたの笑顔を見るたびに、こちらが暖かな光に包まれているようで幸せだと毎日思っています。    出産してから強く願ったことが2つあります。 それは、ひよりが赤ちゃんを出産する時、そばにいてほしい人が当たり前に一緒にいてくれる世界だったらいいなということ。 隣にいてほしい人と、出産という奇跡の瞬間を当たり前に立ち会える世の中になっていますようにと願いました。    もう1つは、一緒に子育てできる社会であってほしいということです。 パパは育児休業を取得しなかったけれど、ひよりとの時間をとても大切に思ってくれています。 私もパートナーであるパパと育児を日々共有することがとても楽しく、もっと一緒にいられたらなと思うことがたくさんありました。 産んでから1か月半は地元に帰ってばぁばと一緒に子育てしたのも今ではよい思い出になっています。 ばぁばは仕事をしながらいっぱいママを助けてくれたんだ。 だからあなたが子供を産んだ時、私もひよりを助けてあげたいと思っています。    あなたに出会えてママとパパは本当に幸せです。 あなたがいてくれるだけで私たちはパワーが沸き頑張れます。 だからこの先どんなことがあろうと、どこにいてもあなたは私たちの宝物で大切な存在ということを忘れないでね。 ひよりの存在が、様々な人を暖かく照らしてくれるよう願っています。     青森県 藪谷未帆さん 題名:奇跡 子どもへ伝えたい言葉:「あなたに出会えたこと」

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亀井香奈さん「時を超える家族の愛」

亀井香奈さん「時を超える家族の愛」

『息子が思いださせてくれた両親の愛』   今までで一番感動したことは人ですか?と質問されたことはありますか? 今までで一番感動したことは?と自分に問いかけてみたことはありますか?   私が今までの人生の中で一番感動したことは「長男の出産」をした瞬間です。   息子は妊娠中お腹の中で穏やかに過ごしてくれたため生まれる直前まで仕事できたことを覚えています。   初産だったので、初めは陣痛がきていることに気が付かず、友人に電話をし「なんとなくお腹が痛くなってきている気がする」と友人に伝えると「それは陣痛だから病院に電話しなさい!」と言われ急いで電話したことを思い出します。   予定日より10日遅れて私たち夫婦の間に生まれてきてくれたバレンタイン生まれの可愛くてかっこいい自慢の息子は私の一番の宝物です。   出産すると夫、両親、義理の両親、近くに住む私の祖母…家族が駆けつけてくれたこと   誰もが心からの笑顔になったこと   そして私自身、息子に「生まれてきてくれてありがとう。本当にあなたは皆に愛されているよ」と「皆あなたが大好きだよ」と毎日、毎日感じていました。   そして「長男の出産」は両親へ一番の親孝行ができた瞬間だと思います。   最近すごく感じる事は 私の両親も私が生まれた時、きっと「生まれてきてくれてありがとう。本当にあなたは皆に愛されているよ」と思ってくれたに違いない!!   私は両親からの大きな愛を「長男の出産」と存在を通して知り 「長男の出産」を通して両親の気持ちも感じ 「お父さんお母さんありがとう。お父さんお母さんの子どもに生まれた私は幸せです。」 と心の底から思えるようになりました。   そんな私も出産後は 日々の忙しさに追われ家族の存在を当たり前のように過ごしていました。 子どもへの愛や両親への感謝や「愛し愛されていること」を忘れて生活していました。   皆さんも家族という存在を当たり前に感じ、子ども達へ生まれてくれたことの感謝や両親の深い愛に感謝の気持ちを忘れて過ごしていませんか?   私はこんな場面に心が苦しくなることがあります。 親が子を虐待する報道 子が親を殺めてしまう報道 親が子を殺めてしまう報道 買い物に行けば、親が子を罵る様子に遭遇。 そんな姿や報道を見るたびに   私もこのまま家族の存在を「あたりまえ」と思い、感謝もなく日々を生活していたら 同じようなことが起きていたかもしれない…   そして、そんな報道や様子を見るたびに 事件の当事者も私と同じように「出産」を経験した瞬間 「生まれてきてくれてありがとう。本当にあなたは皆に愛されているよ」と思ったはずなのに…   生まれてきてくれた子どもに感謝、生んでくれた両親に感謝の気持ちに知り感謝していれば…   悲しい報道はなくなるのではないではと思う悔しい日々です。   私は「長男の出産」を通して自分がとても愛されていたことに気がつくことができました。 両親からの愛、私から息子達への愛と時を超えてつながっていることに気がつきました。 皆さんにとっても「出産」とは素晴らしい価値があるものだと思います。 いち早くその価値に気がついてもらいたいです。   □家族の存在を当たり前と思ってしまう。 □自分が愛されているかわからない。 □子どもを愛していたこと忘れ当たり前だと思ってしまう…   そんな時は「出産の瞬間」を思い出し 自分は「家族に世界一愛されている存在だ」と確信し 幸せを実感できる人が増えて欲しいです。 一人一人の幸せが周りの大切な人に伝わりますように。     青森県 亀井香奈さん 題名:時を超える家族の愛 子どもへ伝えたい言葉:「息子が思いださせてくれた両親の愛」

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  • ■名称

    第1回ぐるっとママ懸賞作文
  • ■フリガナ

    ダイイッカイグルットママケンショウサクブン
  • ■住所

    青森県八戸市
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