【ぐるっとママ八戸賞】ももさん「私の出産 母から子に伝えたい言葉」
『私の可愛いたいちゃん たいちゃんは妊娠5ヶ月の頃からの呼び名です。胎児のたいから取りました。可愛い笑顔で振り向いてくれます。 』
初めての出産は簡単ではなかった
一度目の妊娠は心音確認後に流産。またすぐ妊娠できると思っていた。疑いもしなかった、甘い考えだった。
私が卵管障害という病名を聞くまでは。
婦人科の先生から病名を聞いた途端、呆然とした。そのあと、どう家に帰ったかは覚えていない。あまりにもショックが大きく、夫にどう伝えれば良いか悩んで悩んでは、涙が止まらなかった。悔しくて自分を責めた。
帰宅した夫に
『治療しないと子供できないんだって』
と伝えた。夫は静かに聞いてくれた。
『焦らなくていい』
悩み考えた末、予約を再度取り直し、夫と婦人科を受診することにした。先生は私たち二人に
『何年まで治療を続けますか?お二人で決めてください』と頭から言われてしまった。
時期は考えていなかった。
『納得するまでやりたいです』
自分に負けたくない一心で答えた。不妊治療が始まった。肩に2週間ごとのホルモン注射・毎日の婦人体温測定。
頑張れば頑張るほど、焦りで心が病んで疲れた。
治療は何年か続き、諦めかけていた時、生理が遅れていることに気づいた。婦人科受診日に妊娠検査をした。
先生が『妊娠したね、良かったね、良かった』
嬉しくて涙が溢れ出た。夫にすぐ妊娠報告、喜んでくれた。
私の妊娠生活が始まった。つわりがひどく、体重が減り、毎回妊婦検診では点滴。
お腹にいる赤ちゃんの名前を胎児から取り、たいちゃんと呼び掛けながら妊娠生活を過ごした。
5か月になり、安定期に入り妊娠生活を楽しんでいた矢先、検診で子供の頭辺りに腫瘍が見つかった。
精密検査で良性腫瘍と判明したが、胎盤に癒着していた。自然分娩では危険だと判断された。
全身麻酔で腫瘍を切除することになった。手術が終わったらたいちゃんに会える、頑張ろう。
夫と手を繋ぎ手術室の前で別れた。
全身麻酔が切れ痛みで目が覚めた。夫がベットの横にいた。
『元気だよ、さっき泣いてた。当分二人とも入院だね』
私は安心して涙が出た。二日後、看護師さんから車椅子を押され保育室のたいちゃんを見に行った。
二重で可愛い。
『いつ子供を抱けますか?』
『検査結果次第かな?』
ガラス越しの子供を見つめて、病室に戻った。
2~3ヶ月後、退院が決まった。実家に帰る途中車の中で、母が
『おめでとう、やっとママになった』
『ママに私がなった』
隣で寝ている子供を見て、いつか話そうと思う。あなたに出会えるまで、たくさんの人から教えてもらいました。先生、看護師さん、助産師さん。自分一人で人は決して生きていけない。たくさんの人の支えや、協力があるからこそ、成長して生きていけること。
たいちゃん、パパとママのところに生まれてきてくれてありがとう。
たいちゃんの頭の後ろの傷は、ママとの勲章だね。
青森県 ももさん
題名:私の出産 母から子に伝えたい言葉
子どもへ伝えたい言葉:「私の可愛いたいちゃん たいちゃんは妊娠5ヶ月の頃からの呼び名です。胎児のたいから取りました。可愛い笑顔で振り向いてくれます。 」